季刊 河川レビュー SPRING/2008 suggestion 
《新公論社》より

                            平 山 健一(岩手大学長)

川と地域社会の関わりの歴史

第2次世界大戦の後、国民の要望は経済的な貧しさの脱却と荒廃

した国土の再建であった。河川事業においても産業の振興、食料の

確保、災害からの安全が求められることとなり、急速な発展をみた

科学技術と意欲的な技術者の必死の努力によって我が国の社会基盤

整備は着々と進められてきたところである。しかし、大規模で急速

な自然への働きかけは、往々にして過大な負荷を河川に与えること

となり、その反動が様々な面で人間社会に負の影響をもたらしてき

たことも事実である。河川整備に伴う流域の都市化や水辺の土地利

用が洪水の被害を増大させ、水辺の生態系に深刻な影響を与え、豊

かな水辺から人々を遠ざけてきた。平成九年の河川法の改定で河川

環境の保全が新たに取り上げられたことは、河川技術者が本来望ん

でいた方向への回帰であり、多くの国民の願いにも合致する歓迎す

べきことであった。

北上川の中流部に位置する岩手県平泉では中世期に藤原氏が建立

した中尊寺、毛越寺などの仏教文化を中核とした世界文化遺産の指

定が期待されている。中世期の北東北の内陸地域は北上川を通じて、

広く大陸との交易が行なわれ、文化的交流が実在していたのである。

北上川と地域社会との関わりは深く、文化の伝搬の道でもあった北

上川が地域社会成立の最大の基盤であることは今も変わりない。経

済競争と効率が優先される現代社会において「母なる川」の持つ人

文社会学的意義はこれまで以上に前向きに認識されるべきであろう。

 

川と流域社会の理想的在り方

治水、利水、環境、文化といった地域社会と川の関わりは、それ

ぞれが有機的に関連している。ひたすら経済的な豊かさを求めてき

た人類の歴史を振り返れば環境原理主義者も人間と自然の関わりの

多様さに気づかざるを得ない。川が辿った変容は自然と人間活動の

在り方の貴重な教訓であり、その最適解が共生・共存の道であるこ

とは多くの人々の一致した思いである。また水の流れは一方向的で

あるが、舟を用いれば連続した水面によって上下流の交流が可能な

交流網を形成している。従って流域はひとつの社会を形成しており、

水源地域、中流地域、下流地域における出来事は広域に波及するこ

とになる。北上川に於いても源流部の松尾鉱山の開発が引き起こし

た水質汚染が下流域を「死の川」に変えた辛い時代があった。

従って持続可能な流域社会が実現するためには、上下流の連携に

よって形成される流域文化圏における共生・共存の追求が大きな目

標となる。この様な目標が達成できなければ、川が培ってきた風土

は失われ、流域社会の持続的な発展は悲観的なものとなろう。

 

北上川におけるNPO活動の経験

河川法の改定では、河川事業に於ける住民の参加が促進され、北

上川では平成七年に住民のボランテア団体 「 北上川流域連携交流

会 」が、川の活動に取組んできた全流域の人々を集めて発足した。

その二年後には流域の市町村長による「北上川流域市町村協議会」

が活動を始めている。当時の建設省によってきっかけが与えられた

住民や首長の組織化ではあったが、改定された河川法に述べられて

いるように、地域の個性を活かし、地域住民の参加を実現しょうと

する官民のこころのこもった協調の姿は流域に新たな時代の到来を

感じさせた。

北上川流域連携交流会は、まず地域住民が水辺を再発見するため

の指導者の育成に取組んだ。平成七年にスタートした「リバーマス

ター・スクール」は、現在に至るまで継続しているが、三〇〇名を

越える川のリーダーを流域の各地の送り出し、地域住民が川への関

心を高めることに貢献している。リバーマスターの活動によって、

汚い、危険だとして人々の視野から失われていた北上川の水辺は再

び脚光を浴びるに至ったのである。

様々な職種や職位の人々が参加した北上川流域連携交流会のボラ

ンテア的な活動によって、流域内の人のネットワーク化が進み、岩

手・宮城両県の県境を越えた流域連携の基盤づくりが完成した。流

域の振興、自然環境の保全、歴史文化の尊重に対する会員の強い想

いは流域全体に拡がり、また官民が共有するところとなり、北上川

の官民連携は先進的な事例として全国に発信された。さらにNPO

が法的に認められるに至って住民活動は数的にも量的にも拡大し、

流域住民の川への回帰と環境意識の高まりにつながっている。

一方、住民活動にありがちな一方的な行政批判、活動への思いの

多様さによるまとまりの欠如、地域間の利害の不統一、専門的知識

の欠如、財政的基盤の貧弱さといった地域の弱さも露呈することと

なった。この様に、一方で住民活動を拡大し他方で住民活動の運営

を難しくしている、功罪両面を持つ要因として有償ボランテアの発

生とNPO法人法の制定が挙げられる。

北上川における活動は、発足時は全く手弁当による参加であり、

活動の規模も小さく、個々人の川への強い愛着がその推進力であっ

た。その後の住民運動に対する国からの急激な財政的支援は、組織

力の弱いNPO団体にとって経営的な追い風となったが、行政が企

画する行事への参加が頻繁となり、同時に謝金の支払いが常態化し

ていった。いわゆる有償ボランテアの発生である。Uターンした人

材を受け入れたボランテア組織では活動の一部が職業化し、ボラン

テアとNPO活動のプロが混在することとなった。企画の質が向上

し技術の高度化が実現したことは事実であるが、一方では行政的手

法や民間企業の手法が当たり前となり、人件費の捻出や配分の心配

がリーダーの頭を悩ませた。

また一九九八年に「特定非営利活動促進法」(NPO法人法)が

制定され、北上川流域連携交流会は内閣府の認可団体となった。認

可申請の手続きは容易であったが、認可に伴って会議手続きの煩雑

さや活動報告などが義務づけられ事務局機能の強化が避けられなく

なり、事務局の場所を定め、専従職員を雇用する必要が生じてきた。

事務局を維持する費用を捻出するために事業を受注することは以前

の様な自由な活動の抑制につながった。現在、法人格を持つことが

行政からの資金提供の条件となっていることに住民活動の下請け的

な体質がさらに強まっていることを感じている。

 行政の縦割りの弊害やその発想からはみ出ることに大きな可能性

を有していた住民参加も、最近はその良さを引き出せずにマンネリ

化していることに限界を感じている。慢性化した財政難によりNPO

に対する行政からの思いやりある支援力が低下している現状では住

民運動は極めて厳しい岐路に置かれていると言えよう。この様な状

況を、一度燃え上がった住民の意気込みを地域再生の柱として真に

機能させるためのステージアップの好機と捉えたい。

 

流域づくりの未来

平成一〇年から北上川流域連携交流会などが取組んだ東日本水回

廊構想に基づいた「舟運可能性調査」は、単一流域の上下流連携を

他水系にまでに広める広域ネットワーク化を目指した夢のある事業

であった。東北の米を江戸に内陸水路を用いて安定的に輸送できな

いかという大久保利通の発想や東日本の舟運の歴史的ルートを結ん

だ構想を借りて、北上川、北上運河、貞山運河、阿武隈川、久慈川、

久那運河、那珂川、涸沼、北浦、霞ヶ浦、利根川、江戸川の七八〇

Kmの内陸の水の回廊を辿りながら、思いを共有する各地域の人々と

の交流を重ねていった。「盛岡発、舟に乗ってデズニーランドヘ行

こう」というかけ声の下で11区間にルートを分割して調査を進め、

江戸川下流のデズニーランドに到着したのは北上川をスタートして

から二年後のことであった。

この交流事業には、延べ五四五名が参加し、二七一名の仲間との

交流が生まれ、北上川流域から発した住民の思いは東日本に広がっ

た。地域の連携こそが地域づくりの大きな力となることを実感した

貴重な試みであった。

また平成一四年に結成された北上川リバー・カルチャー・アソー

シエイションという市民団体が進めた北上川とナイル川の姉妹河川

への活動も住民の意識の向上に画期的な変化を与えることとなった。

平成一四年三月、京都で行なわれた世界水フォーラムの会場で、北

上川・ナイル川姉妹河川提携が調印され、川の規模では比較にな

らない大河のNPOとの交流が始まったが、この結び付きは国土交

通省だけでなくエジプト政府も大きな期待を持って支援していただ

いた。翌年、ナイル川を訪問した我々にとって、エジプト文明の形

成におけるナイル川の偉大さ、世界の水の偏在など気づくことにな

ったが、川を取り巻く自然環境や社会環境は実に多様であり、北上

川で思い描いていた共生共存とは全く異なる、より過酷な条件の下

での川と地域社会の在り方を学ぶこととなった。

流域づくりの不易な目的は、住民の安全を確保し、地域の経済的

発展につなげながら、文化的にも環境的にも豊かな社会を維持して

いくことである。今こそ持続可能な流域づくりの担い手とロードマ

ップを確認し、「流域社会と川のシステム・イノベーション」を目

指した新たな住民活動を再出発させなければならない。

変化が必要なときは原点に還ることである。住民が担うNPO団

体の良さは、既得権や縦割り社会の弊害を超越した行政組織では得

難い、わかりやすい活動である。活動の自由度を損なわず、さらに

信頼される地域づくりの柱としていくためには、責任ある、内容の

濃い、継続性ある活動を自律的に維持していかなければならないと

考えている。

そのロードマップはまだ流域全体や異なる行政機関が共有するも

のではないが、行政頼りから脱却した緻密で汗にまみれた志ある活

動と夢を与える先駆的なビジョンの両輪が無ければ、誇れる地域づ

くりの推進者を目指した住民活動は大輪の花を咲かすことは出来な

いのではなかろうか。