新北上川河口域の津波被害状況

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 新北上川河口付近では、大川小学校の被災がマスコミに取り上げられるが、周辺地域の情報が伝わりにくい。
現地を二度訪れて見たが、右岸は規制のため新北上大橋より下流の釜地区に足を踏み入れることは叶わなかった。
それは、航空写真からわかるように建築物のみならず、土砂の流出や地盤沈下によって人の進入を拒む程変化したことによるものであった。
以前の姿とその変化を比較しながら紹介する。


津波襲来以前の新北上川河口部 1995.07
河口周辺には砂州が発達しているほか右岸(写真では左側)には広大な農地や集落があった。


津波襲来28日後(4月05日)の新北上川河口部
海岸堤防は消えて無くなり更に地盤が押し流され農地や集落跡までが海と化している。
北上川の途中に見える橋が新北上大橋。その橋のたもと付近に大川小学校が位置しているが、その周辺も水に浸かったままだ。
河口付近の砂浜は左右岸とも全て消え去った。


津波襲来から2ヶ月を過ぎた6月19日、河口域は未だに海と化したまま。河口域を往来した津波の流れは
河口域の田畑・家屋のみならず大量の土砂までを持ち去り、地形を大きく変えてしまった。

 
津波前の長面浦と河口域 2000.05                     津波により砂浜を失いかつての地形は面影もとどめていない 2011.06.19


 
上流から河口を望む 2011.03.19                              長面浦と北上川と追波湾が一つとなってしまった 2011.03.19


橋は新北上大橋。左岸2スパンは流出。右岸の尾根先の麓に見えるのが大川小学校。大惨事となった現場だ。2011.03.19


5月14日津波から二ヶ月を過ぎても山際まで水が引かない釜谷地区。これでもまだまだ上流域だ。(新北上大橋の直上流)


ポンプ排水で水が引いたところでは捜索活動が続けられていた。


左岸側から望む釜谷地区、堤防が大きく破堤し、川(海)の水面が山際まで届いている。(4/20)

 
上流の洪水敷きに打ち上げられた漁船。(4/20)                良質の葦原だった洪水敷きも水に浸かったまま。(4/20)

 
       
左岸 北上町橋浦地区では瓦礫処理が始まったばかりの様子。(4/20)         支川大沢川の管理境界杭が海の波に洗われている。